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横浜地方裁判所 昭和59年(ワ)714号 判決

昭和五九年(ワ)第七一四号事件原告

松本豊作

昭和五九年(ワ)第七九九号事件原告

早川英雄

右原告両名訴訟代理人弁護士

高橋利明

田岡浩之

昭和五九年(ワ)第七一四号事件被告

橋本志出子

昭和五九年(ワ)第七九九号事件被告

永和企業有限会社

右代表者取締役

永坂和夫

早川昭夫

城所邦保

右被告四名訴訟代理人弁護士

林忠康

主文

一  昭和五九年(ワ)第七一四号事件原告松本豊作の請求及び昭和五九年(ワ)第七九九号事件原告早川英雄の各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用中昭和五九年(ワ)第七一四号事件で生じた分は同事件原告松本豊作の負担とし、昭和五九年(ワ)第七九九号事件で生じた分は同事件原告早川英雄の負担とする。

事実

第一  申 立

(請求の趣旨)

〔昭和五九年(ワ)第七一四号事件〕

一  原告松本豊作と被告橋本志出子間で、別紙第一物件目録記載の土地につき、同原告が昭和五八年一〇月二八日から期間二〇年の借地権を有することを確認する。

二  訴訟費用は被告橋本志出子の負担とする。

〔昭和五九年(ワ)第七九九号事件〕

一  原告早川英雄と被告永和企業有限会社、同早川昭夫及び同城所邦保間で、別紙第二物件目録の土地につき、同原告が昭和五八年一一月四日から期間二〇年の借地権を有することを確認する。

二  訴訟費用は被告永和企業有限会社、同早川昭夫及び同城所邦保の負担とする。

(請求の趣旨に対する答弁)

〔昭和五九年(ワ)第七一四号事件〕

主文同旨

〔昭和五九年(ワ)第七九九号事件〕

主文同旨

第二  主 張

(請求原因)

〔昭和五九年(ワ)第七一四号事件〕

一  当事者

1 原告松本豊作は、昭和一七年五月二八日、亡松本照吉の二女コトと婿養子縁組婚姻をなし、昭和一八年二月一六日、亡照吉の死亡により同人を家督相続した。

2 被告橋本志出子は、別紙第一物件目録記載の土地(以下「本件第一土地」という。)の所有者であつた亡橋本儀平の姪であるが、昭和七年一二月一日、亡儀平及び同人の妻マツとの間で養子縁組をし、昭和二〇年一一月一三日、亡儀平の死亡により、同人を家督相続し、本件土地の所有権を取得した。

二  本件第一土地の借地権

1 原告松本の先代亡照吉は、関東大震災の直後である大正一二年一〇月頃、被告橋本の先代亡儀平との間で本件第一土地を含む同人所有の横浜市中区本牧町四丁目八五一番三の土地のうち一〇〇坪について、建物所有の目的で賃貸借契約を締結し、亡照吉は、同地上に木造瓦葺平家建の建物を建築し、油及び雑貨等の小売商を営んでいた。

2 その後、右借地の一部六五坪については、亡儀平の申出により解約したため、借地面積は三五坪(一一五・六八平方メートル)となつた。

3 原告松本は、前述のように、昭和一七年五月二〇日に亡照吉の二女コトと婿養子縁組婚姻して前記建物で同居を開始したが、昭和一八年二月一六日に亡照吉が死亡した後は、原告夫婦が右建物に居住していた。

三  戦災及び接収

1 本件第一土地上の前記建物は、昭和二〇年五月二九日、アメリカ合衆国軍隊による横浜大空襲で焼失して罹災し、本件第一土地は昭和二一年頃、アメリカ合衆国軍隊により接収された。

2 アメリカ合衆国軍隊は、本件第一土地を同軍関係者の住宅等として使用していたが、昭和五七年三月三一日、同軍から防衛施設庁に対し返還され、同五八年一〇月一三日、接収不動産に関する借地借家臨時処理法(以下「接収不動産法」という。)二四条による接収解除公告がなされた(掲載官報の発行日は同月一二日)。

四  賃借の申出及び拒絶

そこで原告松本は、被告橋本に対し、接収不動産法三条一項に基づき、昭和五八年一〇月二六日付内容証明郵便をもつて本件第一土地について、賃借の申出をなし、右書面は同月二七日、同被告に到達した。しかるに被告橋本は、昭和五八年一一月九日付内容証明郵便をもつてこれを拒絶する旨の回答をした。

五  結論

よつて、原告松本豊作は、被告橋本志出子に対し、借地権に基づき本件第一土地につき、昭和五八年一〇月二八日から期間二〇年とする借地権の確認を求める。

〔昭和五九年(ワ)第七九九号事件〕

六  当事者

1 原告早川英雄は、亡早川義雄の実子であり、昭和四〇年九月五日、亡義雄の死亡により、同人を相続した。

2 別紙第二物件目録記載の土地(以下「本件第二土地」という。)は、もと亡早川初蔵の所有であつたところ、大正八年九月四日、亡早川喜市が家督相続し、亡喜市は昭和二年一一月二四日、これを亡早川キンに売却した。亡キンは、昭和八年八月二〇日死亡したため、亡喜市(持分一二分の二)、宇治ヤヲ(同一二分の三)、福島幹子(同一二分の二)、福島貴子(同)及び城所ナカ(同一二分の三)がそれぞれ持分に応じてこれを相続したが、亡喜市は昭和四三年一一月九日、福島貴子、宇治ヤヲ及び福島幹子の右各持分全部の譲渡を受けた(亡喜市の持分合計一二分の九)。亡喜市は、昭和五一年八月三一日、自己の持分のうち一万二〇〇〇分の四九四四を被告永和企業有限会社に売却し、亡喜市の残持分一万二〇〇〇分の四〇五六は、昭和五三年一月二三日、亡喜市の死亡により被告早川昭夫がこれを相続した。城所ナカの持分一二分の三は、同人が昭和五二年三月八日死亡したため、被告城所邦保が相続した。したがつて本件第二土地は現在被告永和企業が持分一万二〇〇〇分の四九四四、被告早川が持分一万二〇〇〇分の四〇五六、被告城所が持分一二分の三にて共有している(なお右被告三名を以下「被告永和企業外二名」という。)。

七  本件第二土地の借地権

原告早川の祖父である亡早川寅吉は、明治末頃、本件第二土地を亡初蔵から建物所有の目的で賃借し、建物を建築していたが、昭和一三年五月二四日、亡寅吉が死亡したため、原告早川の実父亡義雄が家督相続により右借地権を承継した。

八  戦災及び接収

1 本件第二土地上の建物は、昭和二〇年五月二九日、アメリカ合衆国軍隊による横浜大空襲で焼失して罹災し、さらに本件第二土地は、昭和二〇年秋頃、アメリカ合衆国軍隊により接収された。

2 アメリカ合衆国軍隊は、本件土地を同軍関係者の住宅等として使用していたが、昭和五七年三月三一日、同軍から防衛施設庁に対し返還され、同五八年一〇月一三日、接収不動産に関する借地借家臨時処理法(以下「接収不動産法」という。)二四条による接収解除公告がなされた(掲載官報の発行日は同月一二日)。

九  賃借の申出及び拒絶

そこで原告早川は、被告永和企業に対しては接収不動産法三条二頃に基づき、被告早川、同城所に対しては同法同条一項に基づき、昭和五八年一一月二日付内容証明郵便をもつて本件第二土地について、賃借の申出をなし、右申出は同月三日、同被告らに到達した。しかるに同被告らは、同月一〇日付内容証明郵便をもつてこれを拒絶する旨の回答をなした。

一〇  結論

よつて原告早川英雄は、被告永和企業有限会社、同早川昭夫及び同城所邦保に対し、借地権に基づき本件第二土地につき、昭和五八年一〇月二八日から期間二〇年とする借地権の確認を求める。

(請求原因に対する認否)

〔昭和五九年(ワ)第七一四号事件〕

一  請求原因一の事実の1は不知、2を認める。

二  同二の事実は不知。

三  同三及び同四の事実を認める。

〔昭和五九年(ワ)第七九九号事件〕

一  請求原因六の事実の1は不知、2のうち本件第二土地につき被告永和企業外二名の共有関係を認める。

二  同七の事実は不知。

三  同八及び同九の事実を認める。

(抗弁・賃借申出拒絶の正当事由)

〔昭和五九年(ワ)第七一四号事件〕

一  被告橋本は、昭和二八年三月以来肩書住所で借地し(二二四・六二平方メートル六七・九五坪、賃料月額八七六五円)、同地上の所有建物に居住しているが、是非とも本件第一土地(場合によつては都市計画等に基づく本件土地の換地)に住居を建築し、これに転居する必要があるので接収不動産法三条四項の賃借申出拒絶の正当事由がある。

〔昭和五九年(ワ)第七九九号事件〕

二  本件第二土地を含む接収土地は、現在新本牧地区土地区画整理事業の実施中であり、被告永和企業、同早川及び同城所は未だ現実にはこの返還を受けていないので、将来いかなる位置形状において占有を回復しうるかは未定である。しかし、同被告らは、土地の返還を受けた場合は、次のとおりそれぞれ自らこれを使用する具体的現実的な必要があるので、接収不動産法三条四項の賃借申出拒絶の正当事由がある。

1 被告永和企業は、重量物運搬を業とするものであるが、右重量物置場として現在鉄道用地であるガード下を賃借している実情にあり、本件第二土地の返還を受けた場合は、被告早川及び同城所と協議のうえ、自己に割当てられる土地部分に自ら事務所、重量物置場等を建築し、これを使用する必要がある。

2 被告早川は、ホームメードクッキーの製造販売を業とするものであるが、現在その工場は売店部分を含め、四九・五八平方メートル(一五坪)弱の狭小さであつて、業務の拡大はおろか現状維持のためにも全く面積が不足している実情にある。本件第二土地の返還を受ける場合、同被告に割合てられる地積がどの程度になるか、未だ不明であるが、同被告は返還地上にクッキー・パンの製造工場・売店を建築し、自らこれを経営する予定である。パン・クッキーの製造のためには、食品衛生上の行政的基準があり、カマ・発酵室・パン粉練機・成型台・調理室等を設置しなければならず、また売店部分には、相当大きいケースを備置しなければならない。従つて、原告早川に本件第二土地を賃貸する余裕は全くない。

3 被告城所は、現在国鉄に勤務し、その社宅に居住しているものであつて、本件第二土地の返還を受けた場合は、自己に割合てられた土地部分に自宅を建築し、自ら使用する必要がある。

(抗弁に対する認否)

〔昭和五九年(ワ)第七一四号事件〕

抗弁一を争う。

〔昭和五九年(ワ)第七九九号事件〕

抗弁二を争う。

原告早川は、肩書住所の借地に居住しているが、右借地は、九二・五四平方メートル(二八坪)しかないうえ、接収後横浜市の斡旋で一時的に居住を開始したもので、接収が長期にわたつたため、現在まで至つたものである。昭和二〇年五月二九日の罹災時には本件第二土地上の建物には亡義雄らが居住しており、近所では一番早期にバラックを建てたが、接収により退去のやむなきに至つたのであり、祖父亡寅吉以来居住していた本件第二土地へ戻ることを希望している。

第三  証拠〈省略〉

理由

一当事者について

1  請求原因一の1(原告松本の地位)の事実は、〈証拠〉によりこれを認めることができ、同2(被告橋本の地位)の事実は、原告松本と被告橋本間で争いがない。

2  請求原因六の1(原告早川の地位)の事実は、〈証拠〉によりこれを認めることができ、同2(被告永和企業外二名の地位)の事実は、本件第二土地につき被告永和企業外二名が原告主張の持分でこれを現に共有していることは原告早川と被告永和企業外二名間で争いがなく、その余は同被告らの明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなす。

二本件第一及び第二土地の借地権について

1  請求原因二(原告松本の本件第一土地の借地権)について検討する。

〈証拠〉によれば、原告松本の先代亡照吉は、もと横浜市本牧町八五四番地に居住し、油の行商をしていたが、遅くとも大正初頃までには、被告橋本の養親である亡儀平から、同人所有の本件第一土地を含む横浜市中区本牧町四丁目八五一番三(旧地番横浜市本牧町一〇九三番地)の土地のうち一〇〇坪余りの土地を賃借し、同地上に建物を建てて居住していたこと、右建物は大正一二年九月一日の関東大震災で罹災したので、間もなく亡照吉は、同所に木造瓦葺平家建の建物を建てて居住し、同建物で油の小売商を営んでいたこと、その後、亡儀平の要求で亡照吉は、右借地の一部を同人に返還したので、結局借地面積は六三坪となつたこと、昭和一七年五月に原告松本が亡照吉の二女コトと結婚してからは、本件第一土地上の右建物には原告松本夫婦、隠居の亡照吉、亡照吉の三女ハマの四人が住んでいたが、前記のように昭和一八年に亡照吉は死亡したこと、そして昭和一九年四月、原告松本は応召されて北千島に出征したが、以後昭和二〇年五月二九日の横浜大空襲で右建物が罹災するに至るまで、右建物には妻コト、妹ハマ、昭和一九年七月に生れた原告松本の長男圭司の三人が住んでいたこと(圭司は昭和二〇年九月死亡)を認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

そしてその後後記三1の次第で本件第一土地はアメリカ合衆国軍隊の接収を受けたものであるから、後記接収当時、原告松本は、同土地に借地権を有していたものと認められる。

2  請求原因七(原告早川の本件第二土地の借地権)について検討する。

〈証拠〉を総合すれば、大正末ころ、原告早川の祖父亡寅吉は、従兄弟の亡喜市から本件第二土地を賃借し、同地上に建物を建てて、妻ハナらと共に居住していたが、昭和一三年五月二四日にハナが、同月二五日に寅吉が相次いで死亡し、右両名の長男で家督相続人である原告早川の父亡義雄が右借地権を相続により取得したこと、亡義雄が妻シノブと昭和一五年に結婚(届出は昭和一六年二月)した直後、シノブの兄の援助を得て、右建物に六畳間が増築され、右建物は、間口奥行きとも約四間の台所付きの三部屋の建物となり、そこに義雄夫婦と亡義雄の妹ヤエが居住していたこと、そしてその後義雄夫婦間に昭和一六年八月三一日、長男の原告早川が、また昭和一九年一二月一〇日、長女初枝が出生し、同人らは右建物で育てられたこと、昭和二〇年三月、幼少の原告早川は、妹初枝と共に母シノブに連れられ、母シノブの実家のある福島県河沼郡柳津村に疎開し、右建物には残つた亡義雄と叔母ヤエとが居住していたが、右建物は同年五月二九日、横浜大空襲により罹災焼夫したこと(この点は争いがない。)、亡義雄は罹災後直ちに本件第二土地上にバラックを建て叔母ヤエと共に住んでいたこと、後記アメリカ合衆国軍隊による接収直前、原告早川及び妹初枝は母シノブと共に右バラックに帰還したが、辺り一帯は接収が進んでいたためやむなく帰還数日後に右バラックを取壊して、一家は町会長の斡旋で原告早川の現肩書住所に移転したことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠は存しない。

右によれば、原告先代亡義雄は、本件第二土地に対し、後記アメリカ合衆国軍隊による接収当時借地権を有していたものと認められる。

三接収及び接収の解除について

1  請求原因三(本件第一土地の接収及びその解除)の事実は、原告松本と被告橋本間で争いがない。

2  同八(本件第二土地の接収及びその解除)の事実は、原告早川と被告永和企業外二名間で争いがない。

四賃借の申出及び拒絶について

1  請求原因四(本件第一土地につき原告松本による賃借の申出及び被告橋本の拒絶)の事実は原告松本と被告橋本間で争いがない。

2  同九(本件第二土地につき原告早川による賃借の申出及び被告永和企業外二名の拒絶)の事実は、原告早川と被告永和企業外二名間で争いがない。なお〈証拠〉によれば、原告先代亡義雄の相続人は、原告早川、前記妻早川シノブ、前記長女松尾初枝、二男早川光行、二女池悦子の五名であるが、原告早川を除くその余の相続人らは、本件第二土地に対する賃借の申出の各権利を放棄し同原告が一人でこれを行使することを確認していることが認められる。

五賃借申出拒絶の正当事由について

1  〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

(一)  本件第一及び第二土地ないしその付近一帯は、横浜国際港都建設事業新本牧地区土地区画整理事業(施行者横浜市長)の施行区域内にあつて、現に各土地所有者の土地利用の意向をも容れて計画が立案され、これに沿つてそのための換地計画が現に実施に移されていること、右事業区域内の土地は、それぞれの用途に応じて表通り地区(高層建物の商業地)、低層住宅地区その他の地区に区分されており、各地区は街区をもつて更に区分されていること、

(二)  もとの横浜本牧地区のアメリカ軍接収地内で、前記区画整理事業の施行区域内において、被告橋本は、本件第一土地を含む横浜市中区本牧町四丁目八五一番三の土地のほか、同所八五一番二、同所八八五番、同所八八八番の各土地を所有しており、右各地を従前地として右八五一番二、同番三、八八五番の各土地に対しては、三八街区(表通り地区)に一二五九平方メートルの土地が、八八八番の土地に対しては、五四街区(低層住宅地区)に二三一平方メートルの土地が換地される予定であること、また、本件第二土地ほかを従前地とする換地として、単独あるいは他と共同で被告永和企業には、六街区(表通り地区)に約一〇〇坪の土地が、被告早川には、同街区に約九〇平方メートルの土地が、被告城所には、五五街区(低層住宅地区)に約五〇坪の土地がそれぞれ予定されていること、そして右各従前地に対する右換地予定地につき早暁仮換地の指定が見込まれること、

(三)  被告橋本は、同被告肩書地において抗弁一のとおり借地上の居宅(建坪約二九坪)に夫と二人で居住していること、同被告としては、前記換地予定地をその地区の利用目的に従つて使用する予定であり、低層住宅地区については、長女夫婦と同居のできる住居を建築する予定であること、

(四)  被告永和企業は、重量物(約五〇トンくらいまでの工作機械、印刷機械、包装機、コンピューター等)の据付け、組み立て及び港湾関係従業員の派遣を業とする会社(従業員約四〇人)であり、同被告は、現に事務所から離れた国鉄根岸線高架下の借地(約五〇坪、貸地人は東京高架株式会社)を右重量物置場に使用しているが、前記換地予定地を右重量物置場として使用することを予定しているほか、同所に自社事務所、従業員の休憩室・更衣室の入った建物を建築する予定であること、

(五)  被告早川は、肩書地所在の所有土地(約一五坪)において、パンの製造販売業を営みながら、妻とともに居住しており、前記換地予定地で、息子夫婦(現在は別居中)とともに釜、発酵室、ミキサー等のある本格的なパンの製造販売業を営み、それに併設して喫茶店も営業できる建物の建築を予定していること、

(六)  被告城所は、国鉄職員であり、肩書地の国鉄大森工場内の職員住宅に妻及び息子二人とともに居住しており、前記換地予定地に、国鉄退職後(昭和六一年三月末退職予定)の住居の建築を予定していること、

(七)  一方原告松本は、終戦によりシベリアに抑留されて昭和二三年に復員後、元の勤務先の日産自動車に復帰して同会社の社員寮に家族六人で住み、その後同社を退職してから一一回以上も転居したが、現在では肩書地の借家に妻とともに居住しており、右借家は、六畳、四畳半風呂付、家賃三万八〇〇〇円で、同原告は特に借家自体に不満を有していないものの、娘夫婦との同居(娘は二人いるも、どちらと同居するかは未定。)のため、本件第一土地に住居を建築することを希望していること、

(八)  また原告早川は、現在、同原告肩書地で借地し(面積九二・九九平方メートル・賃料一か月四二二〇円)、昭和四〇年同地上に同原告、原告の母、弟及び妹二人の共有名義で建てた建物に母、妻及び三人の子供とともに居住しているが、右建物は床面積が一一〇平方メートル程しかなく、六人家族で居住するには手狭まであり、またその居住環境は生活に便利ではあるが、必ずしも静かな地域でなく、同原告の母も本件第二土地への復帰を望んでいることから、これが借地として返還を受けて同地上に建物を建て、一家で転居することを希望していること、

2  ところで、接収不動産法三条四項所定の、土地所有者が借地人からの正当な敷地賃借申出に対し、これを拒絶しうる「正当事由」の有無は、土地所有者及び賃借申出人がそれぞれその土地の使用を必要とする程度如何は勿論のこと、双方の側に存するその他の諸般の事情も総合して判断すべきものではあるが、具体的には同法が戦後復興を目的とする罹災都市借地借家臨時処理法(昭和二一年八月二七日法律一三号)による罹災地の借地人の保護との権衡上、接収地の旧借地人を保護するため制定されたものであり、そこには戦後同法の施行当時の劣悪な住宅事情下における接収者の住居等の安定確保と接収解除地の復興促進の要請があるが、本件は同法施行から約三〇年近くも経過した後に接収解除がなされ、しかも現在では本件第一及び第二土地の存する横浜市周辺の住宅事情は同法施行当時では予想できなかつた程に大幅に改善されていることは公知の事実であつて、もはや同法の前記要請も極めて薄らいだものとはいわざるをえないし、また賃借申出人は賃借していた接収地を離れて既に四〇年余を経過し、居住環境もそれなりに安定しているという状況下にあることをも考慮して判断するのが相当である。

したがって以下かかる観点から原告松本及び同早川の本件第一及び第二土地の賃借申出に対する被告らの拒絶の正当事由の有無につき考える。

しかるときは本件の原告両名は、前記のとおり程度の差こそあれ、現にそれぞれそれなりの住環境にあつてさほど遜色があるものとも思えず、同人らはより良好な住環境を確保しようという希望を持つてはいるが、今直ちに本件第一または第二土地(しいてその仮換地ないし換地予定地)上に借地権を回復しなければならない差迫つた必要性を認めることはできず、一方、接収解除後の本件第一及び第二土地を含む周辺土地は被告ら所有者の土地利用の意向を容れつつ都市計画が立案実施され、被告らは早晩その一部を仮換地ひいて本換地として指定を受けることが予定され、被告らにおいても、それぞれ同地上にその必要とする自宅等の建築を計画しているのであつて、しかるときは、被告らの自己使用の必要性は原告らのそれに優越するものとして、被告らにはいずれも右正当の事由が肯定される。

したがつて、本件第一または第二土地について被告らがそれぞれの原告に対してなした賃借申出拒絶は、接収不動産法三条四項の「正当事由」があり、原告らの賃借申出によつて原告らには借地権を取得すべき効果は生じないというべきである。

六以上の次第で原告両名の本訴各請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山口和男 裁判官櫻井登美雄 裁判官小林元二)

第一物件目録

横浜市中区本牧町四丁目所在

地番 八五一番三

地目 宅 地

地積 四六一・〇二平方メートル

右のうち一一五・六八平方メートル

第二物件目録

横浜市中区本牧町三丁目所在

地番 七〇六番

地目 宅 地

地積 七五六・〇三平方メートル

右のうち一六五・二五平方メートル

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